雪後軒について

 東京 山手線の内側、かつて牛込と呼ばれた一帯の西方にある新宿区 戸山の地。ここに小さな草木をたずさえ、ひっそりと佇まいする日本家屋が雪後軒です。
 「雪後始知松柏操 事難方見丈夫心」という言葉があります。「雪後始めて知る松柏の みさお、事かたうして まさに見る丈夫の心」
 松柏の樹は見目美しい花も 色鮮やかな紅葉も見せない。冬の雪後、一面に花も紅葉もない墨絵のごとき景色の中、ただただ緑の葉を変えずに立っている松柏の姿を知った。人間も難局にあたってこそ立派な心かどうかが見える。
 この言葉にあやかり、少しでもこのような姿でありたい・そのような茶の湯の場でありたいと願い、雪後軒と名付けました。

(以下は全て雪後軒の写真です。クリックすると拡大します。 拡大しない場合は「再読込」をしてみてください)

露地(ろじ)
沓脱石 と 露地草履
 (撮影 T.Imagawa 氏)
七畳座敷
 障子越しの自然光は、天候や時の移ろいにより、座敷の景色を全く異なるものにする。
夜の雪後軒
 秋の夜。 静かな虫の音と釜の煮え音を聞きながら、茶が点つまでの時間も味わい。
夜の点前座
 灯心が菜種油を吸い上げ灯す。 短檠(たんけい)の灯りは、襖の唐紙(からかみ)を美しく照らす。
四畳半座敷
 来軒の友に薄茶を差し上げる。 気兼ねなく 心愉しい茶の湯の時間。  (撮影 T.Imagawa 氏)
水屋(みずや)
 客目には触れず、茶の湯の陰の仕度をする水屋。 不足なく、また過分なく、整えられた水屋が茶の湯を支える。

雪後軒について

 東京 山手線の内側、かつて牛込と呼ばれた一帯の西方にある新宿区 戸山の地。ここに小さな草木をたずさえ、ひっそりと佇まいする日本家屋が雪後軒です。
 「雪後始知松柏操 事難方見丈夫心」という言葉があります。「雪後始めて知る松柏の みさお、事かたうして まさに見る丈夫の心」
 松柏の樹は見目美しい花も 色鮮やかな紅葉も見せない。冬の雪後、一面に花も紅葉もない墨絵のごとき景色の中、ただただ緑の葉を変えずに立っている松柏の姿を知った。人間も難局にあたってこそ立派な心かどうかが見える。
 この言葉にあやかり、少しでもこのような姿でありたい・そのような茶の湯の場でありたいと願い、雪後軒と名付けました。

(以下は全て雪後軒の写真です。クリックすると拡大します。 拡大しない場合は「再読込」をしてみてください)

露地(ろじ)
沓脱石 と 露地草履
 (撮影 T.Imagawa 氏)
七畳座敷
 障子越しの自然光は、天候や時の移ろいにより、座敷の景色を全く異なるものにする。
夜の雪後軒
 秋の夜。 静かな虫の音と釜の煮え音を聞きながら、茶が点つまでの時間も味わい。
夜の点前座
 灯心が菜種油を吸い上げ灯す。 短檠(たんけい)の灯りは、襖の唐紙(からかみ)を美しく照らす。
四畳半座敷
 来軒の友に薄茶を差し上げる。 気兼ねなく 心愉しい茶の湯の時間。  (撮影 T.Imagawa 氏)
水屋(みずや)
 客目には触れず、茶の湯の陰の仕度をする水屋。 不足なく、また過分なく、整えられた水屋が茶の湯を支える。

雪後軒について

 東京 山手線の内側、かつて牛込と呼ばれた一帯の西方にある新宿区 戸山の地。ここに小さな草木をたずさえ、ひっそりと佇まいする日本家屋が雪後軒です。
 「雪後始知松柏操 事難方見丈夫心」という言葉があります。「雪後始めて知る松柏の みさお、事かたうして まさに見る丈夫の心」
 松柏の樹は見目美しい花も 色鮮やかな紅葉も見せない。冬の雪後、一面に花も紅葉もない墨絵のごとき景色の中、ただただ緑の葉を変えずに立っている松柏の姿を知った。人間も難局にあたってこそ立派な心かどうかが見える。
 この言葉にあやかり、少しでもこのような姿でありたい・そのような茶の湯の場でありたいと願い、雪後軒と名付けました。

(以下は全て雪後軒の写真です。クリックすると拡大します。 拡大しない場合は「再読込」をしてみてください)

露地(ろじ)
沓脱石 と 露地草履
 (撮影 T.Imagawa 氏)
七畳座敷
 障子越しの自然光は、天候や時の移ろいにより、座敷の景色を全く異なるものにする。
夜の雪後軒
 秋の夜。 静かな虫の音と釜の煮え音を聞きながら、茶が点つまでの時間も味わい。
夜の点前座
 灯心が菜種油を吸い上げ灯す。 短檠(たんけい)の灯りは、襖の唐紙(からかみ)を美しく照らす。
四畳半座敷
 来軒の友に薄茶を差し上げる。 気兼ねなく 心愉しい茶の湯の時間。  (撮影 T.Imagawa 氏)
水屋(みずや)
 客目には触れず、茶の湯の陰の仕度をする水屋。 不足なく、また過分なく、整えられた水屋が茶の湯を支える。

雪後軒の四季

 雪後軒の小さな露地(ろじ、茶庭)をゆっくりと歩き、視線を足元におろせば、小さな草木が季節の営みと移ろいを教えてくれる。

 この軒に立派なものはない。ただただ草木の緑や苔むす石だけがよきように、門前と露地を毎日清め、水遣り・打水をする。

門松
 京都では「根引きの松」を半紙で巻き、紅白の水引で結ぶ。 雪後軒では関東の ますらおぶり に簡素な麻紐で結ぶ。
雪
 黒竹の なよ竹 が雪の重みに曲がる。 草木の雪おろしは、雪の日の大切な作務となる。
春  紅シダ
 桜が終わる頃、春を申し合せたようにいよいよ芽吹く草木。 紅シダは新芽に紅色を含み、葉が開き切った頃にはすっかりと緑となる。
夏  手水桶
 露地にはいかにもみずみずしく打ち水をし、桶には満々の水を張る。
表門  満天星躑躅の紅葉
 12月の初め、表門の脇では軒主に代わり満天星躑躅の紅葉が来客をお迎えする。
露地の落葉
薄茶
 いずれの季節にも、それぞれの季節に伴った一服の味わいがある。

雪後軒の四季

 雪後軒の小さな露地(ろじ、茶庭)をゆっくりと歩き、視線を足元におろせば、小さな草木が季節の営みと移ろいを教えてくれる。

 この軒に立派なものはない。ただただ草木の緑や苔むす石だけがよきように、門前と露地を毎日清め、水遣り・打水をする。

門松
 京都では「根引きの松」を半紙で巻き、紅白の水引で結ぶ。 雪後軒では関東の ますらおぶり に簡素な麻紐で結ぶ。
雪
 黒竹の なよ竹 が雪の重みに曲がる。 草木の雪おろしは、雪の日の大切な作務となる。
春  紅シダ
 桜が終わる頃、春を申し合せたようにいよいよ芽吹く草木。 紅シダは新芽に紅色を含み、葉が開き切った頃にはすっかりと緑となる。
夏  手水桶
 露地にはいかにもみずみずしく打ち水をし、桶には満々の水を張る。
表門  満天星躑躅の紅葉
 12月の初め、表門の脇では軒主に代わり満天星躑躅の紅葉が来客をお迎えする。
露地の落葉
薄茶
 いずれの季節にも、それぞれの季節に伴った一服の味わいがある。

雪後軒の四季

 雪後軒の小さな露地(ろじ、茶庭)をゆっくりと歩き、視線を足元におろせば、小さな草木が季節の営みと移ろいを教えてくれる。

 この軒に立派なものはない。ただただ草木の緑や苔むす石だけがよきように、門前と露地を毎日清め、水遣り・打水をする。

門松
 京都では「根引きの松」を半紙で巻き、紅白の水引で結ぶ。 雪後軒では関東の ますらおぶり に簡素な麻紐で結ぶ。
雪
 黒竹の なよ竹 が雪の重みに曲がる。 草木の雪おろしは、雪の日の大切な作務となる。
春  紅シダ
 桜が終わる頃、春を申し合せたようにいよいよ芽吹く草木。 紅シダは新芽に紅色を含み、葉が開き切った頃にはすっかりと緑となる。
夏  手水桶
 露地にはいかにもみずみずしく打ち水をし、桶には満々の水を張る。
表門  満天星躑躅の紅葉
 12月の初め、表門の脇では軒主に代わり満天星躑躅の紅葉が来客をお迎えする。
露地の落葉
薄茶
 いずれの季節にも、それぞれの季節に伴った一服の味わいがある。

茶の湯の愉しみ

 茶の湯の愉しみは実に様々。茶の湯への興味には人によっていろいろな「入口」や「眼」があります。
 「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。「茶の湯をはじめてみたい」という気持ちは、好きの「入口」に立ったということ。何かへの好きな「眼」を持ったということ。
 和服姿での立居振舞への憧れ。流れるような点前が身につけたい。信長や秀吉や利休の時代の歴史への憧れ。利休や織部のデザインへの関心。陶磁器や漆器が好き。露地(庭)が好き。数寄屋(建築)が好き。畳に座わると落ち着く。静かに一服を待つ時間の安らぎ。懐石・和菓子の味や姿への魅力、などなど。

 茶の湯には、まだまだ書き切れない愉しみへの「入口」や「眼」があります。

裂地(キレジ)
 茶の湯に使う裂地は様々
茶器の袋
 布を扱う店を何軒かまわり、気に入った裂地を見つけ、袋にした。 とある出来事から 『うつけもの間道(かんとう)』 と愛称している。 (間道は縞、格子縞の織物のこと)
茶碗の袋  唐子紋更紗 (カラコ モン サラサ)
 長緒と呼ばれる長紐には幾つもの結び方の習いがあり、もっと相応しい結び方があるかもしれない。 こうした紐結びも茶の湯の稽古のひとつ。
 唐子が愉しそうに踊り、楽器を鳴らす
茶碗を仕組む
 茶巾をたたみ、茶筅を入れ、茶杓を載せる。 茶を点てるための準備のひとつ。
テーブルでの一服
 自宅に畳がなくても、茶の湯のある生活ができる。 ポットに湯を入れ、柄杓(ひしゃく)代わりのエスプレッソカップで適量の湯を茶碗に注ぐ。 雑貨店で見つけた器で気軽に一服を愉しむ。

茶の湯の愉しみ

 茶の湯の愉しみは実に様々。茶の湯への興味には人によっていろいろな「入口」や「眼」があります。
 「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。「茶の湯をはじめてみたい」という気持ちは、好きの「入口」に立ったということ。何かへの好きな「眼」を持ったということ。
 和服姿での立居振舞への憧れ。流れるような点前が身につけたい。信長や秀吉や利休の時代の歴史への憧れ。利休や織部のデザインへの関心。陶磁器や漆器が好き。露地(庭)が好き。数寄屋(建築)が好き。畳に座わると落ち着く。静かに一服を待つ時間の安らぎ。懐石・和菓子の味や姿への魅力、などなど。

 茶の湯には、まだまだ書き切れない愉しみへの「入口」や「眼」があります。

裂地(キレジ)
 茶の湯に使う裂地は様々
茶器の袋
 布を扱う店を何軒かまわり、気に入った裂地を見つけ、袋にした。 とある出来事から 『うつけもの間道(かんとう)』 と愛称している。 (間道は縞、格子縞の織物のこと)
茶碗の袋  唐子紋更紗 (カラコ モン サラサ)
 長緒と呼ばれる長紐には幾つもの結び方の習いがあり、もっと相応しい結び方があるかもしれない。 こうした紐結びも茶の湯の稽古のひとつ。
 唐子が愉しそうに踊り、楽器を鳴らす
茶碗を仕組む
 茶巾をたたみ、茶筅を入れ、茶杓を載せる。 茶を点てるための準備のひとつ。
テーブルでの一服
 自宅に畳がなくても、茶の湯のある生活ができる。 ポットに湯を入れ、柄杓(ひしゃく)代わりのエスプレッソカップで適量の湯を茶碗に注ぐ。 雑貨店で見つけた器で気軽に一服を愉しむ。

茶の湯の愉しみ

 茶の湯の愉しみは実に様々。茶の湯への興味には人によっていろいろな「入口」や「眼」があります。
 「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。「茶の湯をはじめてみたい」という気持ちは、好きの「入口」に立ったということ。何かへの好きな「眼」を持ったということ。
 和服姿での立居振舞への憧れ。流れるような点前が身につけたい。信長や秀吉や利休の時代の歴史への憧れ。利休や織部のデザインへの関心。陶磁器や漆器が好き。露地(庭)が好き。数寄屋(建築)が好き。畳に座わると落ち着く。静かに一服を待つ時間の安らぎ。懐石・和菓子の味や姿への魅力、などなど。

 茶の湯には、まだまだ書き切れない愉しみへの「入口」や「眼」があります。

裂地(キレジ)
 茶の湯に使う裂地は様々
茶器の袋
 布を扱う店を何軒かまわり、気に入った裂地を見つけ、袋にした。 とある出来事から 『うつけもの間道(かんとう)』 と愛称している。 (間道は縞、格子縞の織物のこと)
茶碗の袋  唐子紋更紗 (カラコ モン サラサ)
 長緒と呼ばれる長紐には幾つもの結び方の習いがあり、もっと相応しい結び方があるかもしれない。 こうした紐結びも茶の湯の稽古のひとつ。
 唐子が愉しそうに踊り、楽器を鳴らす
茶碗を仕組む
 茶巾をたたみ、茶筅を入れ、茶杓を載せる。 茶を点てるための準備のひとつ。
テーブルでの一服
 自宅に畳がなくても、茶の湯のある生活ができる。 ポットに湯を入れ、柄杓(ひしゃく)代わりのエスプレッソカップで適量の湯を茶碗に注ぐ。 雑貨店で見つけた器で気軽に一服を愉しむ。

 茶の湯 雪後軒|茶の湯稽古場 雪後会(表千家茶道教室)|東京都新宿区戸山|渡辺 宗牛