雪後軒について
東京 山手線の内側、かつて牛込と呼ばれた一帯の西方にある新宿区 戸山の地。ここに小さな草木をたずさえ、ひっそりと佇まいする日本家屋が雪後軒です。
「雪後始知松柏操 事難方見丈夫心」という言葉があります。「雪後始めて知る松柏の みさお、事かたうして まさに見る丈夫の心」
松柏の樹は見目美しい花も 色鮮やかな紅葉も見せない。冬の雪後、一面に花も紅葉もない墨絵のごとき景色の中、ただただ緑の葉を変えずに立っている松柏の姿を知った。人間も難局にあたってこそ立派な心かどうかが見える。
この言葉にあやかり、少しでもこのような姿でありたい・そのような茶の湯の場でありたいと願い、雪後軒と名付けました。
(以下は全て雪後軒の写真です。クリックすると拡大します。 拡大しない場合は「再読込」をしてみてください)
雪後軒について
東京 山手線の内側、かつて牛込と呼ばれた一帯の西方にある新宿区 戸山の地。ここに小さな草木をたずさえ、ひっそりと佇まいする日本家屋が雪後軒です。
「雪後始知松柏操 事難方見丈夫心」という言葉があります。「雪後始めて知る松柏の みさお、事かたうして まさに見る丈夫の心」
松柏の樹は見目美しい花も 色鮮やかな紅葉も見せない。冬の雪後、一面に花も紅葉もない墨絵のごとき景色の中、ただただ緑の葉を変えずに立っている松柏の姿を知った。人間も難局にあたってこそ立派な心かどうかが見える。
この言葉にあやかり、少しでもこのような姿でありたい・そのような茶の湯の場でありたいと願い、雪後軒と名付けました。
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雪後軒について
東京 山手線の内側、かつて牛込と呼ばれた一帯の西方にある新宿区 戸山の地。ここに小さな草木をたずさえ、ひっそりと佇まいする日本家屋が雪後軒です。
「雪後始知松柏操 事難方見丈夫心」という言葉があります。「雪後始めて知る松柏の みさお、事かたうして まさに見る丈夫の心」
松柏の樹は見目美しい花も 色鮮やかな紅葉も見せない。冬の雪後、一面に花も紅葉もない墨絵のごとき景色の中、ただただ緑の葉を変えずに立っている松柏の姿を知った。人間も難局にあたってこそ立派な心かどうかが見える。
この言葉にあやかり、少しでもこのような姿でありたい・そのような茶の湯の場でありたいと願い、雪後軒と名付けました。
(以下は全て雪後軒の写真です。クリックすると拡大します。 拡大しない場合は「再読込」をしてみてください)
雪後軒の四季
雪後軒の小さな露地(ろじ、茶庭)をゆっくりと歩き、視線を足元におろせば、小さな草木が季節の営みと移ろいを教えてくれる。
この軒に立派なものはない。ただただ草木の緑や苔むす石だけがよきように、門前と露地を毎日清め、水遣り・打水をする。
雪後軒の四季
雪後軒の小さな露地(ろじ、茶庭)をゆっくりと歩き、視線を足元におろせば、小さな草木が季節の営みと移ろいを教えてくれる。
この軒に立派なものはない。ただただ草木の緑や苔むす石だけがよきように、門前と露地を毎日清め、水遣り・打水をする。
雪後軒の四季
雪後軒の小さな露地(ろじ、茶庭)をゆっくりと歩き、視線を足元におろせば、小さな草木が季節の営みと移ろいを教えてくれる。
この軒に立派なものはない。ただただ草木の緑や苔むす石だけがよきように、門前と露地を毎日清め、水遣り・打水をする。
茶の湯の愉しみ
茶の湯の愉しみは実に様々。茶の湯への興味には人によっていろいろな「入口」や「眼」があります。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。「茶の湯をはじめてみたい」という気持ちは、好きの「入口」に立ったということ。何かへの好きな「眼」を持ったということ。
和服姿での立居振舞への憧れ。流れるような点前が身につけたい。信長や秀吉や利休の時代の歴史への憧れ。利休や織部のデザインへの関心。陶磁器や漆器が好き。露地(庭)が好き。数寄屋(建築)が好き。畳に座わると落ち着く。静かに一服を待つ時間の安らぎ。懐石・和菓子の味や姿への魅力、などなど。
茶の湯には、まだまだ書き切れない愉しみへの「入口」や「眼」があります。
茶の湯の愉しみ
茶の湯の愉しみは実に様々。茶の湯への興味には人によっていろいろな「入口」や「眼」があります。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。「茶の湯をはじめてみたい」という気持ちは、好きの「入口」に立ったということ。何かへの好きな「眼」を持ったということ。
和服姿での立居振舞への憧れ。流れるような点前が身につけたい。信長や秀吉や利休の時代の歴史への憧れ。利休や織部のデザインへの関心。陶磁器や漆器が好き。露地(庭)が好き。数寄屋(建築)が好き。畳に座わると落ち着く。静かに一服を待つ時間の安らぎ。懐石・和菓子の味や姿への魅力、などなど。
茶の湯には、まだまだ書き切れない愉しみへの「入口」や「眼」があります。
茶の湯の愉しみ
茶の湯の愉しみは実に様々。茶の湯への興味には人によっていろいろな「入口」や「眼」があります。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。「茶の湯をはじめてみたい」という気持ちは、好きの「入口」に立ったということ。何かへの好きな「眼」を持ったということ。
和服姿での立居振舞への憧れ。流れるような点前が身につけたい。信長や秀吉や利休の時代の歴史への憧れ。利休や織部のデザインへの関心。陶磁器や漆器が好き。露地(庭)が好き。数寄屋(建築)が好き。畳に座わると落ち着く。静かに一服を待つ時間の安らぎ。懐石・和菓子の味や姿への魅力、などなど。
茶の湯には、まだまだ書き切れない愉しみへの「入口」や「眼」があります。